-2004年12月8日付けのメモから
●民族の誇りってなんだろう。中国の人々は枝葉を意味する「支」という文字で祖国が呼ばれる事に怒りを抱くらしい。支那という呼称を嫌うのはそういう理由か。
その国の人である誇り。ある民族である誇り。人間である誇りだけじゃ不十分なんだろうな。
何かに属することを求め、そこから生まれる連帯感から安心感を得る。そういうことなのかな。
これもバランスなのだけど。属したいと同時に縛られたくもなく、その時々の気分で精神的に求めることがいくらでも可変する。
●世界をよくするために文字通り日夜や努力をしている人たちというのは本当に存在するものだね。すごいよなあ。でも何の分野であろうとそういう事を実現していくには「人」が必要なんだ。皆が主役。誰だってより良い世界になって欲しいと思っている。それが人が悪と、または善と叫ぶことであろうが、自分中心の事であろうが、他の人にとって迷惑な事だろうが、「そうなれば今よりいいのにな」という願望は必ずある。もしそこで「全員」に共通し得る望みを認めたならば、あとは主役である僕たち皆がその「なればいいな」をもう少し普段の暮らしと混ぜればいいんだ。
●ある個人や、特にこの場合「集団」を長期にわたって激しく憎む人たちは、一体「本当に」心底のその相手に消えて欲しいのだろうか。特に直接自分たちとは関わりがないが、相手の「属性」が主な憎悪の原因の場合。日本人を恨む中国人や、互いに憎しみ合うイスラエル、パレスチナの人たち。アメリカを憎むイスラム原理主義の一部の過激派。
一番良いのは、自分がその相手を嫌わせる一番の要因を取り除いた状態で自分の憎しみが楽しみに変わり、相手と共存出来ることだと信じる。
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