徹夜とコーヒーと朝焼け
課題の締め切りと試験勉強で久々に徹夜した。味のはっきりしないインスタントコーヒーを煎れ、チャットをしながら写真を切ったり貼ったり。BGMにはジョージベンソン。到底集中してるとは言えない環境の中妙にハイになって課題をやってた。徹夜をするとなぜこんな風に変にハイになるんだか。
一段落して一時間の仮眠のあとシャワーを浴び部屋に戻ると、空が赤く染まり始めていた。僕の部屋の窓はちょうど朝日の方を向いてる。幾層にも重なった薄い雲のぼやけた輪郭が、赤みがかった黄金色に染まっていく。薄桃色の空に細くちぎった和紙が浮かんでいるようだった。刻一刻と変化して。一瞬の美しさとよく言うけど、それはつまり無常の美しさということ。
思わず窓を全開して身を乗り出した。朝の空気がひんやりと気持ちいい。11階の窓からは、この寮以外高い建物がないこの町の様子がよく見える。
写真を撮りたい、と思うのとほぼ同時にまたこれは撮ってはいけないものだ、とも思う。デジカメを買って以来毎日のように撮っていたのになぜか去年の夏頃からほとんど写真を撮っていない。普段景色を撮ることが多いのだけど、人も景色もほとんど撮っていない。古くなったデジカメのせいもあるのだろうけど、どこかで綺麗な記「録」を残したくない自分がいる気もする。ふと何かのきっかけで鮮烈と蘇る記「憶」としてだけ留めておきたいのかな。
漠然とそんなことを思っているとキャンパス内の街灯がパッと消えて現実に引き戻された。そういえば午後犬の散歩をしている時にも街灯が一斉につくのを何度か目にしたことがあるっけ。よく映画などでもその日の時間の経過を表す描写として街灯が使われることがあるけど、そしてそれが哀愁を漂わせて都市の生活を静かに象徴するようなこともあるけど、僕はいつも違和感をもってしまう。それが今まで何か分からなかったし、考えなかったけど今日わかった気がした。
それは継ぎ目のない自然の移り変わりに対し突如として機械的に、しかも瞬間的に起こる事だから。同じ時間の経過でも空にみる時間には継ぎ目はない。街灯のそれはあまりにくっきりとしていて、不自然なのだ。消えた瞬間から朝、ついた瞬間から夜。本来物事に「区切り」なんて付けられないはずであって、それで普段の生活でも何かと居心地の悪さを感じるんだろう。
この「区切り」についてはまた後日書こうと思う。


Panakoさんの発言
Tetsuya Otsukare~~
巧さんの発言
おーす。ありがとう。
なかなか楽しかったよ。
しょっちゅうやりたいもんじゃないけど。